2022年5月31日 更新

講習は予約開始と同時に完売!「世界一幸せな風俗嬢を創造する」ヒメクリとは?~前編~

ヒメクリ後編
Hime’s create(ヒメクリ)風俗講師 さくら
中学、高校1年までは勉強を一切せず、クラスで1、2を争う落ちこぼれ。しかし将来の不安を感じ、一念発起で猛勉強。そこからクラス1位まで成績があがり、大学の経営学部に合格、生まれ育った地方を離れ上京する。生活費、学費を親に頼らず全額自分で負担するためキャバクラを経て、ソープ嬢へ。堀之内の高級店でナンバー1の座に就いていたが、講師業を本気で取り組みたいと、トップランカーのまま現役引退を決意。2021年、風俗嬢をサポートする組織「Hime’s create(ヒメクリ)」を発足。最近はプライベートがない多忙な日々を送っているが、サーフィン、キャンプ、釣り、マラソンなどアクティブな趣味を持っているのだとか。
Hime’s create(ヒメクリ)風俗講師 すみれ
九州出身。公務員の両親の元に生まれる。親の離婚を機に不登校が始まり高校は中退。ギャルの道を突き進んでいた時、スカウトでAV業界へ。年間300本の出演、週刊誌のグラビアにも掲載される超売れっ子となる。そのおかげもあり、掛け持ちで働いた吉原の高級店では即完売嬢に。しかし、接客への姿勢や勤怠は最悪で本指名は取れず。その後、移籍した川崎の高級店で遅刻を本気で叱られ、改心。工夫を積み重ね、少しづつ指名が返り、努力が実を結んだのは4年後。押しも押されぬトップ嬢にのぼりつめた。1年後の引退を決めた時、元同僚のさくらさんからヒメクリへのお誘いがあり、講師の道を進むことを決意。製菓デコレーションの上級資格を持つ家庭的な一面も魅力。

風俗嬢向けの実技講習やセミナーを運営する『Hime’screate(ヒメズクリエイト:通称ヒメクリ)』をご存じでしょうか。

風俗嬢が学ぶための場が、お店以外にもあることを『みっけStory』で初めて知ったという声をよく聞きます。

ヒメクリを立ち上げた、さくらさんもそのひとり。伝説の泡姫・沙也加先生の講習を、本サイトの記事で知り、スキルを磨き、ある時「自分も講師となり、女の子たちを支えたい」と、引退を決意。

伝説の泡姫 沙也加主催☆人気泡姫たちが集う【ソープ合同講習会】に潜入♪

その時、さくらさんは堀之内の高級店でトップランカー。お客様に「半年後の引退」を告げると、半年先の予約が全て埋まったのだそう。

さくら個人としての活動ではなく、ヒメクリという組織を発足した理由は、他の先生もいれば、偏った指導ではなく、様々な考え方、角度からのアプローチができる。また、大規模なセミナーや、講習ルームの確保など、個人では難しいこともやりやすくなるから。

現に2021年の立ち上げ以来、実技講習は1000名以上、毎月開催のセミナーや、撮影会なども大好評。予約もすぐに埋まってしまうほどの人気なのです。




さくらさんからオファーを受けたのが、すみれさん
元人気AV女優。堀之内の高級店ではナンバー1となり、最後はさくらさんと同じ店舗で二輪のパートナーに。通常の指名のほか、さくらさんとの二輪だけで、月30本もの指名があったというのも驚きです。

現役時代は、仕事がイヤ、お客様が嫌い、勤怠は最悪。何で頑張らないといけないの?という、超ネガティブ風俗嬢。在籍店の店長さんから真面目に叱ってもらったことで意識が変わり、超ポジティブに。

そんな経験こそが、現役嬢に寄り添い、信頼を得ている秘訣なのかもしれません。

前編では、立ち上げメンバーである、さくらさん、すみれさんの紆余曲折な経歴を。後編ではヒメクリを立ち上げたきっかけや、想い、ビジョンなどをお伝えします!

さくら「劣等生から優等生へ。逃げてばかりだった過去を後悔」

高校までは不登校。学校に行かずサーフィン三昧の日々。学力はクラスでも最下位争いの常連でした。

高校2年の時、初めて自分の人生に不安を感じたんです。このままだとまずいんじゃないか……。そこからは大学進学を目標に、人が変わったように猛勉強。睡眠はほとんどとらず、学校の授業とは別に1日8時間は机に向かっていました。

気付けばクラスの最下位からトップになり、志望大学にも無事合格。その時の教訓から、嫌なことから逃げていたら、後で巻き返しをするのが大変だと悟りました(笑)。そこからは、努力を惜しまず出来ることをしっかりやるように。

親の反対を押し切って上京した手前、金銭面で一切頼ることができなかったんです。最初はファミレスで働いていたのですが、学業を真面目にこなしながら、学費の返済と生活費を自力でまかなっていくのはかなり厳しくて、友人の紹介でキャバクラへ。

キャバクラで働き始めたものの、最初はやっぱり落ちこぼれ(笑)。頑張っているつもりなのに全く指名がつかなくて。そこで、大学で学んでいる経営学の内容を取り入れてみたんですよ。例えば営業的なアプローチ、心理学、統計学。

すると驚くほどの効果で、あれよあれよと人気キャバ嬢へ。ただ、飲みすぎがたたり、アルコール性膵炎になりお店で倒れてしまって。もうお酒は避けたかったので、友人の紹介でソープの面接に行きました。

そこは堀之内の高級店。完全未経験でお店の下調べもせず。今思えば、怖いもの知らずですね(笑)

業界未経験。初月10日で10本の指名を返す

ヒメクリ

未経験なので、当然お客様は、全てご新規様。そんな中、キャバクラ時代同様の経営学を駆使し、なんと初月の10日で10本の指名を返すことができたのです。そして在籍70名のお店だったのですが、半年でランカーになりました。

でも、実は入店3ヶ月頃までは、当欠をよくする怠慢な風俗嬢でした。ある日お店に行ったら在籍を下げられていて、びっくり。「もう来なくていいよ」って。

どれだけ指名を取っていても、勤怠が悪ければお客様の信頼だけでなく、お店の信用問題に関わりますよね。

もう一度チャンスをください」と頭を下げ、何とか在籍を戻してもらったのです。

大学3年の時、就職先への内定が決まり一旦は風俗を引退。しかし、お客様のストーカーに遭い、内定した会社にソープで働いていることを密告されました。内定は取り消しになり、再び、お店に出戻り(笑)。

その時、お客様がみんな喜んでくれたことが嬉しくて嬉しくて。もう就職はせず風俗専業でいこうと。そして「専業になるなら絶対にナンバー1になりたい」と思ったんです。

高級店で1位になり、さらなるステップのため堀之内の最高級店へ移籍。そこでもナンバー1に。しかし、大学時代の同級生がお客様として来店してしまい、噂が流れたことで居づらくなっちゃって。

店長のすすめで、系列店に移籍。そこで組んだ二輪車がすみれ先生。これが最初の出会いだったんです。

お店でナンバー1だったすみれ先生は接客、技術力、ホスピタリティ、どれをとっても感動レベル。私にはないものを持っている人。

その日、二輪が終わったあとに「これから私の二輪のパートナーになってもらえませんか」とお願いしたんです。

その後、すみれ先生と私は、個人のお客様とは別に、二輪車だけで月30本の本指名をとっていました。たぶん、日本で一番、二輪車の本指名が入ったペアだったかもしれません(笑)

すみれ「すべてがネガティブ。私は誰にも必要とされていない」

うちは両親は公務員。真面目すぎる家庭でした。まだ小学二年生の時、両親が離婚。父の元に引き取られました。私は母に「戻って来てほしい」と言ったんです。が、「いらない。生まなきゃよかった」と。

深く傷ついた私は、中高と不登校に。私はいなくていい存在。学校に行く意味もない。父親だって私を引き取りたくなかったはず。私は誰からも必要とされていないんだと、卑屈になるばかり。

それでも優しい父は、怒ることもなく見守ってくれていました。

高校を中退し、福岡の街でスカウトに声をかけられたんです。「東京で、稼げる仕事がある。寮もあるからすぐに行ける」って、詳しい仕事内容も聞かずに飛びついてしまって(笑)。結局、AVの仕事でした。でも、事務所の面接に行くと、皆さんすごく優しくて、強引な勧誘もなし。

「テスト撮影もできるから、興味があるならやってみる?」と言われ、試しにやってみたら、すごく楽しかったんですよね。ヘアメイク、カメラ、みんなが私のために動いてくれる。それを見て「必要とされてる喜び」を感じたんです。

そこからはAV嬢として、かなり本数に出演しました。年間300本くらいかな。イベントや握手会もあったし、スポーツ紙や週刊誌のグラビアに出たこともありました。

おかげ様で知名度はそれなりにありましたが、仕事以外は「ひとり」の寂しさが襲ってくることも。撮影の間が空いてしまう時に不安を感じるようになり、他の仕事をしようと考えました。

とはいえ、顔出しでAVに出ていたため、一般の仕事をすることは無理だろうと、ソープを掛け持ちすることにしたんです。

ランキング1位になるまで4年。努力は必ず実を結ぶ

ヒメクリ
ハタチで飛び込んだのは吉原の最高級店。現役AV嬢ということでお店も推してくれたこともあり、問い合わせも多く常に完売嬢でした。努力をしなかったといえば、嘘になりますが、接客は完全に自分の押し付け。「やってあげてる」意識がありました。

勤怠も最悪。当欠や遅刻が続き、さすがに社長から怒られました。「出勤してからでないと予約をとらない」と言われてしまい、お店を退店。今思えば、当然のお叱りですよね。

次に行ったのは堀之内の高級店。ここは勤怠がものすごく厳しくて、初日1分遅刻したんですよ。1分なんて自分にしたら遅刻だと思ってもおらず。

しかし店長の言葉は「遅刻がどれだけ迷惑は分かっていますか?そんなことなら辞めても結構」と(苦笑)。AVでの知名度もあったし、吉原トップクラスのお店で完売嬢だった私には、衝撃の一言で。

そこまで真剣に怒ってくれる人は今まで誰一人いかなった。「必要とされる人になりたい」と一念発起。

でも、ネット指名はダントツで1位なのに、本指名は全く入らない。これって接客がダメな証拠。新規につくチャンスが誰よりも多いはずなのに、全く指名を返せない。待機室に張り出されていたランキングを見て、恥ずかしくなってしまって。誹謗中傷も多く、凹みました。

接客を丁寧に行うことを心がけ、一人ひとりのニーズをくみ取るように意識をすると、少しずつですが本指名が増えてきたんです。お客様が戻ってくれる嬉しさや、喜んでくれる顔を見ているうちに、どんどん仕事が楽しくなってきたんです。

正直、ずっと仕事をイヤイヤやっていたし、お客様のことを好きだなんて思ったこともなかったのに(笑)

私の場合は本当に地味に階段を上った感じ。そのお店でネットと本指名、総合で1位になるまで4年もかかったんです。

1位になった頃、前の店でナンバー1だったさくら先生が移籍してきました。二輪を組んだことがきっかけで、お互いをリスペクト。お客様のことは好きだけれど、さくら先生の「愛」にあふれた接客は私の持っていないものでした。

一足先にさくら先生は講師になるため卒業。私は人気があるうちにAVを引退。風俗の収入と合わせて、自分の目標額が貯まったので、1年後の卒業宣言をしました。さくら先生にもその旨を連絡。そこで「卒業したら一緒に講師をやりませんか」と声をかけてもらったんですよ。


余談ですが、以前妹から「お姉ちゃん、AV出てる?」って電話がかかってきて。どうやら妹の彼氏が見つけたらしく(苦笑)

そこから話がいったのでしょう。父は、私がAVに出ていたことを知っていたようです。数年ぶりに実家に帰ったら私のDVDがあったんですよ。きっと本当か確かめたんでしょうね。

いろいろあるかもしれないけど、身体にだけは気を付けなさい」って、ひとことだけ。何も聞かれないし、言わなくてもわかってくれる、本当に優しい父なんですよ。今では父ともすっかり仲良しです。

私を必要としてくれる人がいる。ネガティブだった過去の私は、もういません。

後編に続く

サポータープロフィール

みやねぇ

みやねぇ

  • みっけStory編集部

風俗キャストをサポートするWebマガジン「みっけStory」編集長。生粋の江戸っ子で、情にもろいタイプ。路上で拾ったじいさん猫が宝物(→18歳で昨年天国へ…)。お酒と美味しいパンは正義♡趣味はマラソンと阿波おどり。ともに歴12年。最近は筋トレにハマってます。三角筋と大円筋好き♡

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