- 中山美里(なかやまみさと)
- 1977年生まれ。司法書士事務所、出版社アルバイトを経てフリーの編集・ライターになり、2007年、ご主人とオフィスキング設立。性風俗やアダルト産業、性の健康、女性の生き方などを中心に幅広く取材・執筆。風俗キャストをはじめ、援交少女やAV女優などアダルトの仕事で関わってきた女性は1000人以上。主な著書は「16歳だった~私の援助交際日記」「性職者の人々」「漂流遊女」「ネット風俗嬢」「高齢者風俗嬢」他多数。シングルマザーで出産し、現在3人の子を持つ母。
風俗で働く女の子の入店から卒業までをテーマにした『みっけStory』。
風俗で働くうえで年齢は障壁になるのか? そんなことを調べているうちに出会った本が、中山美里さんの著書「高齢者風俗嬢 女はいくつまで性を売れるのか」。
数年前から〝熟女ブーム〟といわれ、〝熟女〟を前面にフィーチャした雑誌や風俗が人気を博したが、ここ数年は、50代や60代だけでなく、70代や80代の超熟女を求める傾向が強くなってきた。
70代のナンバーワンソープ嬢、80代のデリヘル嬢――
彼女たちは、なぜ還暦を過ぎてもなお〝超熟女〟として風俗嬢を続けるのか――
超高齢化社会・日本のもうひとつの断面の現実をレポートする!
(amazonより)
いやいや、逞しすぎる女性たち。これが本当に取材をして出会った方たちの話なのだ。
続いて読んだのは、中山さんのデビュー作「16歳だった~私の援助交際日記」。
「私の価格は最低5万、最高25万」
私はふつうの女子高生、ただ愛情が欲しいだけ。この十年間、あたしは援交のことを、いつもどこかで後ろめたく思ってた。でもあたしはあたしをごまかすことはできない。援交時代をないものとして扱えば扱うほど、自分の一部が削除されたような気になった。
(amazonより)
衝撃的なタイトルに負けず劣らず、これがご本人の実話というからびっくり。赤裸々なノンフィクション。
汚れてしまった心とカラダを自ら突き放す。処女喪失時の悔しさ、日々の葛藤、思春期特有の恋愛ごっこ、リアルな性表現。どれをとっても情景が手に取るようにわかったし、複雑に揺れ動く心理がなんとももどかしい。
医療系家系の優等生は、中学でグレはじめた
幼少期は小さな頃はわりとおとなしくて、引っ込み思案。小学生のときはクラス委員をやったりバスケに夢中になるような活発な女の子でしたね。
親の転勤で大田区の蒲田から名古屋へ転校したのですが、中学に入って先輩に目をつけられてしまって。「どうせ目をつけられたなら、グレてやる!」って(笑)。当時はちょっと悪い感じの子が流行っていたんですよね。グレるのがかっこいい、みたいな。バンドブームもあって、先輩の影響でロックを聴くようになったり。
で、また中学2年で蒲田に戻ってくることになっちゃったんです。
私立中に編入したのですが、あまり馴染めなかったんですよね。その学校が中・高一貫のエスカレーター式だったので、そのまま高校へ。
でも、その頃にはすでに学校が楽しくなかったので、高1の途中から、放課後は街へフラフラ繰り出すように。ショップの店員さんと仲良くなってお店に入り浸ってました。そういうのがステイタス! みたいな時代。夜遊びもその頃から。まさに青春まっさかり。めちゃめちゃ楽しかったですねぇ(笑)。
うちの家系は元来、医療系。一族で病院も経営していました。父親は製薬会社勤務。
とにかく親はブランド志向で、当然大学も超一流大学か医学部以外はありえない、という考え。レールを敷かれていて、最初はそのように進むのかとも思っていたのですが、一族の遺産相続やらドロドロとした大人の世界を見て、こんなのはイヤだ、と。
放課後に通ったショップや、クラブが私の居場所。そう確信したんです。
「私の価格は最低5万円、最高25万円」
中山さんは援助交際をしていた。著書「16歳だった~私の援助交際日記」では、細かな描写まで赤裸々に描かれている。本の後半で、中山さんは未婚で子どもを生むことを決意。本の中では、父親について触れられていないが、実際はかなり苦労されていた。
数千万の借金を抱え、妻子ある相手が父親でした。認知もしてくれました。債務整理や養育費などで裁判をし、子どもが22歳、大学を卒業するときまで養育費を払ってくれることで合意。今はもう音信普通ですが、養育費は毎月振り込まれています。
今、その子は18歳になりました。私の過去もすべて知ってますし、私がアダルト関連の仕事をしていることも知っています。フェイスブックでも友達になっちゃってるので、エロネタなんかも見ちゃってますね。お母さんがそういう仕事をしていることについて思うところはあるんでしょうが、何も言わないです。でも、エロネタの投稿には「いいね!」してこないんです(笑)。
読者モデルから出版社入り
援助交際を止めたあとは、六本木のクラブで働いていましたが、妊娠を機にこの先の人生、きちんと計画を立てなくては、と考えました。
25歳過ぎたら収入が下がるといわれていたし、水商売は若いうちじゃないと稼げないと思っていたので「手に職をつけよう」と。法律系なら食いっぱぐれはないだろうと、司法書士の資格を取るつもりで、司法書士事務所にアシスタント入社。それが23歳の時ですね。
未経験でもあっさり採用が決まったのですが、そこがまた強烈なセクハラ会社で(笑)。出社すると机の上にエロ本があるとか、ホテル行こうとか。採用基準は見た目、足が良かった、と後から言われました。
1年半くらいは頑張って続けたのかな。その後は区の地域センターのような施設で法律の勉強をしていたんですが、そこで知り合った出版社の方に雑誌の読者モデルの話を聞いて、バイトがてらに『読モ』を始めました。たまたま、そこの出版社が編集者の募集をしていて、自分で応募。それがきっかけで編集の道を歩むことに。
中山さんが携わった雑誌は育児系。そのなかでセックスについての情報を取り扱うこともあり、自分は性に関するコンプレックスもあったし、性を題材にすること自体やりがいを持っていたという。
残念ながらその出版社は倒産したが、その後、フリーランスとしてライター・編集者として活躍するようになった。
アダルト系をやるとなかなか他の仕事ができない、まわってこない、とも言われていたが、逆に20代の女性がアダルト情報に詳しいというのは大きな武器で、たくさんの仕事が舞い込んできた。8年前、仕事場で出会った編集者が今のご主人。旦那様がお仕事を辞めるタイミングで、会社を設立した。
現在はキャストの取材だけでなく、AV業界にも精通。週間SPA!やアサヒ芸能などの大手メディア、エロ漫画、テレビ番組の企画出し、性病知識の啓蒙活動、さらに風俗店の新規出店にむけてアドバイザーなど、驚くほどアクティブに活躍されている。
風俗で働く女性たちへ。
この世界って、頑張れば頑張るだけ収入が跳ね返ってくる仕事ですよね。
例えばシングルマザーになったとしても、学歴や資格のない女性が一家を支えられるだけの収入を得ることができるのって風俗くらいしかないんじゃないかと思います。
収入が増えれば、セカンドキャリアも考えられますよね。
昔のイメージとは違い、今はお店側も女の子に無理をさせず、むしろ気持ちよく働いてもらうために努力しているし、女の子側も、若くてかわいいだけではダメだということがわかって、技術や接遇面など本当に努力しています。熟女系も増え、長く働けるようになってきた。もちろん、いいお店、女の子に男性はお金を使う。経済的にもすごく貢献しています。ほんと、これって誇れる職種なんですよ。
やりがい、誇りを持って働いていることを伝えたら案外受け入れてくれる男性は多いようですよ。もちろん言えなければ隠すのもよし。
でも堂々と言えない、うしろめたいっていう気持ちを持っている子がたくさんいます。そもそも、そういう風潮になってしまっている社会に問題もあると思っています。
こうした問題については、今の風俗業界はクリーンだという実態を知ってもらったり、風俗で働くすばらしさを私たちがもっとメディアで発信していくことで、少しずつでも大きな岩を動かしていければと思っています。
次回は、中山さんに風俗業界の実態や、社会問題についてもう一歩踏み込んだお話をお聞きします。
>>風俗業界の現在・過去・未来|中山美里×みっけStoryディレクターさいとう